目次
基本情報
お名前 | 岸波莉穂 |
生年月日 | 1992年4月23日(2019年2月25~26歳) |
出身 | 東京都 |
サイズ(2006/5) | T155・B71・W61・H80 |
サイズ(2008/10) | T156・B82・W56・H82 |
血液型 | B型 |
靴のサイズ | 24.0 |
特技 | ダンス・ピアノ・お絵かき |
趣味 | 音楽をきくこと |
芸能界入りのきっかけ |
ご本人様ホムペやSNS
芸歴
デビュー
- 2006年2月に美少女中学生としてデビュー
グラビア出演情報
- もえっこVol.2
- もえっこVol.5
- もえっこ美少女図鑑特別編
- クリームVol.172
- クリームVol.176
- チューボーVol.8
- チューボーVol.9
- クリームBB
などなど、清純系グラビア三大誌にまたがってデビュー以来引っ張りだこで忙しく活躍しました。
清純系ジュニアグラビア誌黎明期から成長期にかけての中心人物の一人として活躍されました。
活動期間
- 2006年2月~2008年11月
活動期間は三年弱です、特に近年のジュニアグラビア様たちの活動期間の短さからも分かりますように元々活動期間の短いジャンルでありますので、ジュニアアイドルとしては十分な活動期間であったと言えますね。
出演
TV
DVD
- 莉穂の挑戦。(2006年2月17日、心交社)
- トマト 岸波莉穂 13才(2006年5月26日、ローランズ・フィルム)
- 好きになっちゃった(2006年7月24日、アートハウス・ゴン)
- 莉穂の季節(2006年10月20日、竹書房)
- りほんちゅ。(2007年1月12日、心交社)
- YOGAっ娘クラブ 岸波莉穂〜14歳楽しいヨガ・ポーズ〜(2007年2月、イーネットフロンティア)
- 岸波莉穂 初恋U15(2007年4月25日、ジーオーティー)
- 再来(2008年11月30日、アイドルファクトリー)
写真集
- 莉穂の決心(2006年2月、撮影:会田定広、心交社)
- 莉穂 13歳(2006年6月、撮影:中村誠作、リイド社)
- 放課後Reborn〜りほ14歳〜(2006年9月、撮影:安藤青太、マイウェイ出版)- ムック本写真集
- Middle Of Generation(2006年12月、撮影:中村誠作、リイド社
- 当人のものと思われるアカウントはあるが現在は中止されています。
- 腐女子系の闘病日記アカウントですが、ご本人様は、ネットやゲームが好きと公言しておりますので、本物であると思われます。
人気絶頂の中、どうして引退したのでしょう!?
彼女の独特なブログの存在
アイドルとしては、もの珍しすぎる独特なブログ。今では、閲覧出来ませんがそれはそれは本当に何が書いてあるのか解読に苦しむレベルの記事だったようです。
現在でも、Twitterにて彼女の残した文章を読むことは出来ますのでイメージは掴めるでしょう。
ツンツンな岸波莉穂さん
ファンをファンとも思っていない、ツンツンな態度。
しかしそれはそれでコアなファンの心を鷲掴みにしていました。
当代随一の美女
しほの涼さんや、仲村みうさんがすでにクイーンとして存在感を示す中、岸波莉穂さん、多田瑞穂さんは「元祖ジュニアアイドル四天王」に数えられる人気っぷり。ジュニアアイドル第一期黄金時代においても、岸波莉穂さんのルックスは飛び抜けていた。
そもそもやる気が無かった
もう仕事を続ける気はないと、ブログでも公言されていましたので、そもそもやる気が無かったとも言えます。
某匿名掲示板に自らスレを立てた
出演雑誌のインタビューに、自身でスレを立てた事を公言した。
そして、そのスレに降臨していたらしく、また、ネット依存度の高い岸波莉穂さんは必ず匿名掲示板を見ていると、コアなファンは盛り上がる。
以上の事を総合すると、当代随一の美少女でありながらも、本人のモチベーションや、(現在で言うところの)炎上を恐れたという背景もあったのかもしれません。
引退後も根強い人気
彼女の、ルックスはもちろん飛び抜けておりましたし、なにより、「アイドル」よりは「オタク」に近い存在からコアなファンはいつまでも彼女への支持をやめることはありませんでした。
活動休止後も、ずっと復帰を望まれる、愛されるアイドルでした。
現在
2016年6月26日に闘病中であった癌で死去との情報が出回っておりましたが、ウィキペディア以外の情報がソースになっている模様で、二次情報がないため、現在では削除されております。
病死の信憑性を検証しなければいけません
芸能活動を休止されたのが2008年末であります。
公式ブログ、アイドルとして最後の更新が2008年10月。
例のTwitterアカウント開設が2009年12月。
順を追って、彼女の心理、信憑性を確認していきましょう。
2008年10月20日(16歳5ヶ月27日)
この時点では、ジュニアアイドルとして人気絶頂の頃です。活躍しながらも、ファミレスでバイトをしている事が分かります。
後に、自身で友達がいないと言いますが、不登校君で友達もいなくなっていっていると公言しております。
アイドル活動している方の多くが、同級生などからのやっかみにあいますから、その流れなのでしょうね・・・
その後、芸能活動も休止してしまいますから、残念です。
2011年12月5日(19歳7ヶ月12日)
ブログの三年ぶりの更新
すっかり大人になりました。
この時点でもファンからの絶大なる人気は残っています。
そして、このときに全てのブログ記事を下書きに戻すという手間のかかる事を実施。
そのあたりからもオタク気質が読み取れます。
ただ、19歳の彼女にとって、この時点で三年以上何の活動もしていないので、現役アイドルとは言えないということは認識していたでしょうから、どういう思いで更新してきたのでしょうか。
そういう意味では、すでにファンを大切にする必要もないでしょうから、オタク気質の岸波莉穂さんにとって(この時点でも岸波莉穂さんのコアなファンである時点でオタク気質といえますから)同じ部類の親密なファンと捉えていたのがそのまま「たのしいです。感無量です」という言葉に現れたのでしょうか。
2013年1月16日(20歳8ヶ月24日)
成人したというブログ記事更新です。
昨年に中免を取ったという報告もあります、バイクを買った事も公言しているので、この時点ではまだ元気だったのかと思われます・・・
本当にこの後病気になったのかと思うと、悲しいです。
2014年3月3日(21歳10ヶ月8日)
一年ぶりの更新。
生存報告という言葉が出てきます。
近況は何もなく、ひたすらゲームをしているとの報告、Twitterアカウントとのキャラが一致してきます。
去年、中免を取ったという記事がありましたが、一年ぶりの記事にてはアウトドアの報告はなく、引きこもっているようなないようなので、もしかするとこのときに病気が発覚したとの推測は出来ます・・・
岸波莉穂さんは、Twitterは公式ではないですから、病的な事も呟いておりましたが、ブログでは病気について一切触れておりません。
そして、すでにこの時期に芸能人でアメブロ以外を利用している人は皆無です。あえて、ライブドアブログを続けていく意味は何だったのでしょうか・・・
あえて、現役時代のブログを何年も利用し続けたこと、頻度は少なくても更新し続けたこと、病気の事は一言も書かなかったこと。
そこには彼女の黒歴史かもしれないけれど、ファンに愛された期間への哀愁。アイドルとして活躍した意地、プライドがあったのではないでしょうか。
2015年5月19日(23歳26日)
みんなが見ることの出来る岸波莉穂さんは、10年も前の過去の姿で、過去の人です。
だけど、彼女の口から「刀剣乱舞」という言葉が聞けるのが不思議です。
岸波莉穂さんは間違いなく、現代を生きていたのです。
「あまりにもまわりにおたくがいなくてだれにも語れなくて悲しいです」とありますが、これはこの記事を読むであろう、オタクたちに向けての事でしょうか。
この時点では、岸波莉穂さんは闘病中で、お友達もいなかったようです。引退から何年も経った当時でも「岸波莉穂さん」を掲示板に書き込んだり、騒いだりするオタクたちの存在は岸波莉穂さんにとっては親密な友人で心の拠り所だったのかもしれないです。
2016年1月19日(23歳8ヶ月27日)Twitterより
「治療が終わったらやりたいこといっぱいあるけどそれができるほどの人生が残っているかどうかは別の話だ」
岸波莉穂さんは、治療が終わったらやりたいことがいっぱいあったのです・・・涙なくしては、いられない気持ちです。
そして、外出許可ということからも、この時には入院生活をされていることが分かります。
2016年1月22日(23歳8ヶ月30日)Twitterより
この日に一度退院されました、そして呑みに出かけられたようです。
岸波莉穂さんはお酒も嗜むのですね。
それに、闘病中とはいえ、楽しんでいる岸波莉穂さんのお姿を思い浮かべると嬉しいです。
2016年1月26日(23歳9ヶ月3日)Twitterより
想像はしたくないことですが・・・入院中の検査結果が出たなどの、余命宣告という可能性もあります・・・がこの後のTweetから、この同様はアニメのキャラクターなどに対するものであると推測できます。
ご本人様も仰られているように腐女子系なので、発言を読み取るには注意が必要です。
また、この時は「エーンママ」と甘えている記述がありますので、頼れるお母さんであったのでしょう。
2016年3月11日(23歳3ヶ月11日)
通院中であることが分かります。
また、この日にアルバイトの面接に行き、採用されたようですね。
現状では、アルバイトが出来るほどの体力ではあるようです。
それと、仮に余命が6月までだとしたら、新たなアルバイトを始めるのかどうかという疑問もあります。
2016年3月26日(23歳11ヶ月3日)
通院生活が終わったという事はここで完治したとも取れるのですが・・・いかがなものなのでしょうか。
また、HPというのも確認が出来ないのですが、独自に何かしらのサイトを運営していたのかもしれないですね。
知りたいです。
2016年4月11日(23歳11ヶ月19日)
何気なくですが、半年後と仰られています。余命を意識しながらとは感じられませんので、実際に完治とはいかないまでも快方に向かっていて、病死の情報は嘘だったのかという気もしてきます。
そうであってほしい・・・
2016年4月18日
お付き合いされている方もいるようです。ちゃんと楽しい日々を送っていたのでしょうか。
2016年4月20日(23歳11ヶ月28日)
誕生日にお食事にいくようです。
2016年4月22日(23歳11ヶ月30日)
先程のTweet通りだと、当日もお食事に行っているはずですが、その記述はなく、前日のこのTweetがあります。
もしかすると、一晩過ごしたのかもしれないですね。
また、「笑えよお前ら」という記述がありますが、いったい誰を指していたのでしょう。やはりネット民に向けてでしょうか。
これほどヘヴィーツイラーですから、自分のために騒ぐネット民に対して親近感がある可能性は否めません。
2016年4月29日(24歳6日)
お誕生日当日より少しTweetがありません。基本的にはこうしたSNSの使い方は心の穴を埋めるために利用されます。
だとしたら、誕生日から少しの間は満たされていたのかもしれないです。
そして、「リア小」とうのは、ジュニアアイドル時代の事でしょうか・・・まぁ、誰でも自分の中学生時代の姿を見たら痛いと感じますね。
「見てくれる人がいないだけ」というのは読み解きが困難ですが
仮に自身の過去の活動に嫌気があるのなら、このTweet上で隠す必要はありませんので、おそらくはそういうことではないのでしょう。
「ダルくなってニートに戻りたい」というのは、岸波莉穂さんはフリーター=アルバイトしてる ニート=アルバイトしていないと認識されていますので、バイトを辞めたくなったということですね。
2016年4月30日
前向きにバイトしている姿が垣間見えます。
だけど、癌で余命宣告を受けている方が、アルバイトをするのかなという疑問は少し残りますね。ご本人様によると、ライブのチケットを買うためにいやいや働いていると呟いておられます。
余命いくらかなら、自分の自由に時間を使うという選択肢を周りが与えることにはならないのでしょうか。
2016年5月2日(24歳9日)
体調は優れないようです・・・
2016年5月9日公式ブログにて
同日2016年5月9日のTwitterより
この2つの記述「スパークのレバガチャで指を痛めた」からも、ブログはアイドル時代からのものなので公式でありますし、Twitterも本人のことであることは間違いないようです。
2016年5月10日Twitterより
「わあーーーー24さいおめでとうまたひとつあなたたちと一緒に歳をとれることをうれしく思うよ」
2016年5月12日
血小板の減少とがんは密接な関係にあります。
2016年5月18日
これも、さり気なくTweetされていますが、かなり意味深です・・・
2016年5月20日
これはご家族に対する愚痴だと思われますが、「バイク直して家を出る」この事を素直に受け取ると、まだ元気はあるのですよね。
2016年5月27日
病気の体に鞭打ってお仕事をしている姿が呟かれています・・・
2016年6月2日
アルバイトを辞められたそうです。
2016年6月8日
この日に緊急入院されたようです。
まだ、彼とは続いている模様です、それと、ご家族には不満を持たれていることもTweetの所々より読み取れます。
2016年6月11日
涙なくしてはいられない・・・そんな心の叫びです・・・こうして見ていくと、やっぱり彼女の病死は信憑性を帯びてきました・・・
2016年6月14日
このように、親族に対するご不満を書き出されています。これに関しては当サイト管理人としては、ご家族の方にも様々な事情もありますから言及するつもりも、当然批判するつもりもありません。
ただ、岸波莉穂さんの想いを綴っていっているだけです。
2016年6月16日
感情は、身近な人にほど強くなります。どこか、行き場の無い不安、きっとご自身の中でも無意識のうちにそんな感情が身近な人に向かったのかもしれません。
2016年6月21日
このTweetが、岸波莉穂さんの最後の言葉と言われています。
そしてこの5日後の6月26日にお亡くなりになられたと言われています。
彼女が、がんと闘病の末、お亡くなりになられた事の信憑性は高いですが、ウィキペディアに書かれていた情報の他に二次情報がなく、現在はウィキペディアからも没情報は削除されています
ウィキペディアの情報元は見つかった!?
ウィキペディアの情報元は見つかりました。
信憑性はとても高く、真実と言い切っても良いですが、現在ではネット上に証明出来るリンク、スクショなどがないのが現状です。
しかし、当時その情報が合ったことは間違いなく、誰かがその情報を元にウィキペディアを編集したと見られます。
情報が嘘という事は!?
これに関しては、100%本当とは言えませんが。岸波莉穂さんの病死を嘘と言ってしまえば、彼女の闘病記自体を否定することになります。
また、現役時代から、彼女の腐女子っぷりは業界でも有名でネット依存度は非常に高いです。
その彼女がパタッとネット上から姿を消すというのも、可能性は低いでしょう。
では、事の真相は!?
ソースを示すことは出来ませんが、情報源は信頼出来る物です。
やはり岸波莉穂さんは闘病を最後の最後まで、公式ブログでは隠し通したまま・・・
ファンが心配しないように「しばらくお休みします」という言葉を添えて
きっと安からな眠りに付かれたと判断しました。
画像
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